私が鴻上尚史のワークショップを受ける理由

虚構の劇団の『アンダー・ザ・ロウズ』を見た際に、鴻上尚史さんによるワークショップの案内があったので、申し込んだのであった。6月4日と5日っす。


皆さんがご存じの通り、私はどこのプロ劇団にもアマ劇団にも属してませんが、鴻上さんのワークショップに、兼ねてから興味があったのです。鴻上さんが早稲田の文学部で講師をされてた時にはまだ会社員だったので潜るわけにもいかず往生しました。


同じく私の好きな、宮沢章夫さんのワークショップは私のリテラシーで捕捉できなかったのでね。無論、早稲田で講義されているのは知ってますが、どういうわけか、私の仕事が忙しくなりやがってなかなか潜れんのです。しかし、潜ってみせますよ。前期中にね。


で。まあ、何でオメーなんかが、演劇のワークショップに参加しようと考えたかってのは、そこそこ気にはなりますわね。私は自分が役者で何かをやろうとは1㎜たりとも思ってませんよ。まず要求される演技とかできませんし。恐らく。


んー。じゃあ、なんでってことですよね?自分を何らかの形で変えたかったらどこぞの自己啓発セミナーに20万円払って、『人格改造マニュアル』にあるのと大体同じな体験をすればいいわけですし。


一つには、そういう自己啓発セミナーは、終わった後の活動がうるせーってのはあります。あ、あとそもそも費用が高すぎる。そんなカネねーよ、バーカ!一番有力な理由は、長年エッセイを追いかけ、たまーに演劇も見て、「この人のやる何かだったら参加してみたいなー」ってことか。


何度も書くが、私が鴻上尚史さんを認識したのは私が小学4年生の時に祖父母のところに帰省した際の「週刊朝日」のエッセイだった。そもそも親の仕事の都合で幼稚園から東京で暮らしていた私は、福岡にだっっれも知り合いもおらず、とにかく「週刊朝日」を読み漁っていた(ま、それはそれで問題だとは思うが)。その時、『恨ミシュラン』と『パパは何だか分からない』(山科けいすけ先生!)と同じくらい面白かった氏の連載を私は読んでいたのだった。


時は流れ、私は中学3年になり、「SPA!」を生意気にも読むようになった。そこで、『ドン・キホーテのピアス』を連載している鴻上尚史さんを発見したのであった。いや、発見したのではない。巡りあったのであった。


その時既に連載は50回くらいであったが、それ以来、多少の抜けはあるが、ほぼ毎回読んでいるのである。ってなんの自慢だ。


えー、何だ。私が鴻上さんのワークショップを受ける理由か。むー。私はこの日記でもたまーに書いてはいるが、体の解放という思想に興味があるんである。こう、サヨクの人が言うところの、「学校はダメなところヅラ!とにかくダメなんだヅラ!」というのにはある程度共感する。でもね、こう、学校がある程度「標準化」をしなきゃいかんところだとも思うのよ。


サヨクは前者の主張だし、私の好きな山形浩生は、「ガキが嫌いなことも無理にやらせてナンボ」という考えを持ってる(多分な)。私はね、実は両方の言うことをバラバラに、でも同時に信じているのだよ。おかしいかね?少なくともおれはそうだ。


あ。えーとね。いま、はっきり鴻上尚史さんのワークショップに参加する理由が分かったわ。私は、そういう場でしか会わないであろう人(つまり、その先一度も接触がない人)に、正直に私の半生を何らかの形で伝え、慰めを受けたいんだろうな。それしかねーわ。『リアル』の戸川くんが、初対面のヤマに自分の病気のことを包み隠さず話してしまったように、「あー、大変だよね、分かる分かる」みたいなことを言って欲しいんだよね。あー、クソだわ。…って思っているのがクソだわ…って思ってるって思ってもらってるのも事実クソで…。なんだよ。あーあ。ってアレだね、そもそもワークショップで何をやるのか分からないのにこんなことを書くのは不毛だね。


ぬ。分かった。こう、ハイブリッドな「からだ」ってのは存在可能なのかというのを自分で試したいんだよ。つまりだ。「標準化」された体にちゃんと適応できて、まあ、極端な話「回天」に乗れる体になるのと、まったくでたらめな、からだ優先の状態というのをスイッチ的なもので切り替えることができんのかと。そういうことだ。


おお。最後に思いついた。全く初対面に近い人に、私の「からだ」はどう写るのかを知りたいんだ。