バレた

皆さん、ご無沙汰でございました。飲み屋でひとりビールをあおりながらこれを書いてます。


これを某SNSサービスで読んでいる方は、勝手に私が特に選んだ、まあ、「友人」の中でも限られた方です。何しろ、私の「友人」には直系尊属が含まれてますから。


ごく最近、私にもお付き合いする人ができまして、福満しげゆき先生の言う、「昆虫のような生活」から抜け出しました(詳しく知りたい方は『うちの妻ってどうでしょう?』4巻を読んでください)。ふと気がつけば、(大学時代に、遊び人の巣窟であるはずのテニスサークルに所属していたにもかかわらず)陰毛に白髪が混じっている、そんな年齢になるまで女性とお付き合いしていなかったわけですね。よほど前世で非道いことをしたんでしょう。


お相手の女性に「私の好きなもの・こと」や「私の嫌いなもの・こと」を話すにつけ、改めて自分の考え方や嗜好について、今まで意識してこなかった事柄が浮き上がってきます。お相手の方に、遠回しに述べたつもりのことを「つまり、バカな人が嫌いなんでしょ?」とズバッと喝破されて狼狽したりしています。滲み出ちゃってますかねえ…。


ただ、「バカな人が嫌い」ってのは、かなりリスキーな表明なんですよね。だって、自分で自分のことはバカだと思ってないってことですから。そういうこともあって婉曲表現をしてたわけです。


私は「口では『自分のことが嫌い』と言っている癖に実は自分大好きな奴」なので、つまり、「口では『自分は頭悪い』と言ってる癖に実は自分が頭いいと思ってる奴」なんですよね…。ただ、一旦こうなっちゃうと、屈託なく「自分大好き」になることは不可能なのでもう仕方ないです。はあ…。


話は変わります。これも福満しげゆき先生が『うちの妻ってどうでしょう?』で描かれてましたが、自分にお付き合いする人ができたとしても、世のカップルが憎いことに変わりはありません。その憎さのスカラーは、私の状況が変わる前より小さくなってますが、ほんの少しだけですもんね。私がハリウッドの恋愛映画やあだち充及び「少年サンデー」っぽい漫画が嫌いな理由もこれで完全に説明できます(「週刊漫画サンデー」は好き)。


私は、一生「自分はモテなかった」という気持ちを持ち続けるのでしょう。


何度も福満しげゆき先生を引き合いに出して申し訳ないですけど、幸運にもいまのような状況になっても、福満先生の言う通りつくづく「10代20代のときに彼女がいない人生」ってのはクソですね。だって、みんなこんなに楽しい感じのことを5・6回は繰り返してるんでしょ?やれやれだぜ。とは言え、もうどうしようもないけどねー。