『人生解毒波止場』(根本敬)

年の瀬が迫るなか、読んだまま感想を書かずに放ってある本がいくつかある。本書と、『クマと闘ったヒト』、『男子のための人生のルール』。途中で止まってるやつもあるなあ。『ヒップ-アメリカにおけるかっこよさの系譜学』は半分でずっと止まっちゃってるし。『村崎百郎の本』もあと少しというところだし。


そんなことを言っても別にどうにもならんですな。順番に書いていきまっしょい。


本書は特殊漫画家の根本敬さんが90年代に「宝島30」に持っていた連載をまとめたもの。まだ当時は80年代っぽい雰囲気が世にあったようで、根本敬さんは連載を始めるに当たり、その時はまだ宝島社のいち編集者だった町山智浩さんに「今の日本は気取った、綺麗な物ばっかりになっちゃったでしょ。でも、それってかえって毒が溜まるんだよね。それを解毒するような連載にしたい。毒をもって毒を制するみたいな」と話をした。


この本には、知る人ぞ知る在日の演歌歌手、電波喫茶の経営者、ドMの元編集者、浮浪者の画家、ゴミ漁りを指南する工員、自称「3代目タイガーマスク」になるはずだった男等々、強烈な人がバンバン出てくるわけですが、やっぱりね、この世には巡り合わせみたいなのは確実に存在すると感じざるをえないっすわ。ただ、その巡り合わせは極めていい加減な代物で。


無論、それっぽい人たちが多いドヤ街に足繁く通ってるから自然に変な輩にも遭うだろうということも、まあ言えなくはないけども、それだけでは片付けられない何かがありますよ。北朝鮮に行ったときに、よど号ハイジャック犯が昔やっていたと思しきバンドのテープを持っていき、本当にその当人に高麗ででくわす、とか普通じゃないでしょ。そもそもそのバンドのことなんて、普通に生活しているだけじゃ全く、1ミリも、知るはずのないことだしさ。


それで、その巡り合わせで、ゴミ漁りをする工員として本書に出てきた村崎百郎は、キチガイの読者に自宅兼事務所に押しかけられて刺殺されちまった。驚いたことに、この読者は、村崎百郎のところに行く前に、根本敬が住んでいると、そいつが思い込んでいたあるアパートに寄っていたんだと。根本敬は警察からその事情を聞いた。アパートには根本敬は住んでいなかったので、村崎百郎のとこに向かったってことですね。


通常なら、「あぶねー、一歩間違えたら殺されてたかもしれないんだ」となるところだが、根本敬は何と、件の部屋を借りてしまうんである。キチガイの読者は病気なので、症状が改善されれば娑婆に出てくる。その時にそいつがまた、そのアパートに行かない保証はない。それが村崎百郎に対するいちばんの供養だという。


所詮、人生なんぞなるようにしかならない。目に見えない「因果」に身を任せてみるのが一番なのだろう。人生は不平等だ。理由などない。今不幸だから来世は報われる、などということはいまの不幸を説明するための方便だ。ならないようになっているものになろうとして何かをやるのは徒労というのだ。


おれの因果鉄道の旅はどうなっていくのだろうか。死ぬまでせいぜい楽しむよ。