『ザ・ロード』(コーマック・マッカーシー)

昨晩Twitterでつぶやいてから腰を入れて読み始め、今日の移動中に読み終わった。


がっと読み始めたらぐいぐい進んであっという間に読み終われました。初めの方で挫折しそうだったのは何だったのか。


『血と暴力の国』が良かったし、私の信頼する山形浩生さんと豊粼由美さんが良いと言っていたから文庫を見つけたときに躊躇なく買った。


お話は。生物がほとんど死に絶えた世界で、たった二人で「火を運ぶ」親子は、大陸を南へ南へと移動する・・・というもの。もっと説明はないのかよ、と言われる御仁もあるだろうがだってそれだけの話なんだもん。もっと詳細を書いてもいいが、本書を読む人もいるだろうし(別に大どんでん返しとかはないけどさ)、一応やめておきます。


で。この「火を運ぶ」ってのは、文字通りの意味ではないです。TVでたまに放送される「東京オリンピックの聖火は今も燃えています」的なものではない。それが何を表すのかは小説が終わっても示されない。


私は終末モノの小説を読んだことがないからというのもあり、十分楽しめた。って仮に読んでいたとしても楽しめたと思うけど。amazonにいらっしゃる、「読書家」の方の一部にはそうでもない人もいたようだったですがね。


話は変わるが、ああいうサイトのレビューで、いち読者のくせに上から目線で「何が足りない」だの「どこが悪い」だのっていうのは何様なんだろうと思うね。


本書は色々と分からない点が多い。舞台は作中に出てくる地名からアメリカだと推察されるものの、世界が荒廃してしまった原因は明示されないし、親子の名前も出てこない。どうやら核戦争の後っぽい感じだが、それも定かではない。


私の少ない知識から、近い世界観の作品を引っ張り出すとすれば、ズバリ『北斗の拳』だ。文学の香りも何もあったもんじゃないが、そうなんだから仕方ない。あと、訳者の方も書いていたが、親子二人であてもない旅をする、というのは『子連れ狼』と似ている。


ただ、大五郎を演じていた子役が殺人犯になったのと対照的に、本書に出てくる子は、終末にあってなお、稀に出会う人を助けようとする。そしてその父はその度に、そんなことはできないと子を諫めるのだったが、助けることもあった。


して、件の「火を運ぶ」ということの意味は私には分かりかねた。漠然と、「善」を次の世代に手渡すということなのかな、くらいのことは思ったが、些か陳腐な気もする。もし、その使命(と呼べるようなものだとして)がなかったのなら、普通に死んだ方がマシな世界なんですよ。舞台は。『北斗の拳』は少しだけど食糧とかが「流通」してるけど、本作の世界では何も流通せず、まして何かが実るわけもない。


ああ、今になって割と最近読んだ秋山ジョージの『アシュラ』のことを思い出した。あの漫画は中世における終末のような時代が舞台で、衝撃なのは「生まれてこないほうがよかったのに」というセリフだが、確かに終末の時代に生まれたとして、そう考えない方がおかしいだろう。息子は少しだけ死に魅せられる時もあるけど、自分たち以外の人間を常に助けようとする。聖人のようですらある。生まれたときに既に世界は荒廃していたのに。


父親は、もう終わりにしようという考えが頭をよぎるが、それを実行できない。どんな未来が待ち受けているとしても、自らの手で子を動かなくすることはできない。我々の世界における現代の主要国に近い世界を生きた人にそれはできないですよ。


ダラダラと書いているが一向にまとまらないしその力量もない。


結末については、「ご都合主義っぽい」という向きもあるみたいだが、私はそうじゃないと思う。むしろ、ああなりそうだったからこそ、あの人(たち)はそういうことをしたんじゃないのか。気になるなら読めばいいし、そうでもないなら読まなければいい。


しかし、これ、ヴィゴ・モーテンセンが主演で映画になるらしいが、ヒットするかなあ?余計なお世話だろうけどさ。