『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』

宮沢章夫さんが主宰する、遊園地再生事業団の公演を見てきました。高円寺に割と最近できたその名も「座・高円寺」で上演中です。24日まで。


冒頭ではっきりさせておかなければならないことがあるとすれば、この作品を私はよく理解できなかったってことだ。ただ、それは「カネ返せ!」というものでなく、まあ、何というか「いい作品」だった。否、カッコいい作品だった。美術も、音楽も、衣装も、劇を提示する形式も全てがカッコよかった。


事前に宮沢さんのブログで「上演中に寝た人が多かったらしい」という意味のことが書いてあるのを読んでいったから、どんだけ眠い作品かと思ったら、寝るとこなかったです。


でもこの舞台のあらすじすら私には説明しようがない。「ここ20年間ずっと眠れない男」が他の睡眠障害を持つ人たちにインタビューしていく、と書いてもきっとほとんどの人には伝わるまい。テレビのドキュメンタリーのようでもあるし、そうでないようでもある。


「眠れない男」というキーワードで思い出されるのは、今や立派なバットマンとなってしまった、元アメリカンサイコのクリスチャン・ベイルが主演した映画『マシニスト』だが、共通してるのはただ、「眠れない男」が出てくるってことだけだった…。


そもそも、本作は、みなさんの多くが想像するであろう、「舞台で何かが起こる」ものではない。時系列はバラバラだし。越後の縮緬問屋のご隠居が諸国を漫遊してその先々で色々と問題を解決するような「お話」ではないのです。


作者の宮沢さんはブログにこう書いている。


「では、『演劇の技法』を突き詰めるというより、『うまい』をより洗練させ、エンターテイメントとしての演劇が支配してしまえばいいのだろうか。否定はしないが、それだけでもつまらないと僕は思っている。よくわからないことを試みる「ばかものたち」を支持したい。『あ、そんな演劇へのアプローチがあったか」と、たとえば近年ではチェルフィッチュ岡田利規君がそうだが、そう驚かせてくれる舞台に出会いたい。それはすでに、〈演劇〉によって、〈芸術〉によって『容認されている』から、いまではファッションになる危惧も一方にありつつ、しかし刺激的であり、ある種の大きな劇場で公演される『劇』ともまた異なる種類の表現だ。」


つまり、私の無能さを無理矢理正当化するなら、こりゃ「よう分からん」を意図して作られたものだと言える。いや、言いたい。


あと、本作は様々な書籍の一部を俳優達が朗読していくという部分もあって、いちいち原典を読みたくなるような読みでした。



ああ、私の力量じゃあこのくらいしか書けん。いや、もうちょっと頑張る。私がカッコよさを感じた要因は、表現の方法の選択のバランスが秀逸だったからじゃないか。上にあるような「演劇の技法」を突き詰めるって、ともすれば突飛な表現(って具体的には知らんが例えば出演者全員が上画像のようなコープスペイントで出てきて四つん這いでずっと演じるとか;こんなの既に昔のアングラ演劇で似たようなことやられてんだろうな)に行きがちだけど、映像を効果的に使いつつしかも話の筋も何とか分かる、というもう、何だ、とにかくカッコよかったよ。


で、じゃあテーマである「睡眠(障害)」について何か書けるかと訊かれるとそれはそれで大したことも書けん。私自身、抑鬱が酷かった時には睡眠が細切れになって、しかも気力もゼロという経験があるけど、せいぜい1年間続いたくらいだったしな。


よく、「死んだように眠る」とか「まるで寝ているような死に顔だ」とか言うが、死と睡眠の親和性は高い…なんてどこかで読んだようなこと書いても仕方ない。もうやめよう。