カッとなってって
世の中で報道される殺人、傷害などの事件の動機とされるのは、計画的なものの他には「カッとなって」というものがあるのはよく知られたことだ。で。まあこの「カッとなって」は一体何なんだろうと思うわけだ。
友人と口論になり、ついカッとなって仏像を彫った。
これじゃ何だか分からない。「カッとなる」が仏像を彫るという行為に馴染まないのは、仏像を彫るという行為に精密さが必要とされるからだ。人はカッとなったところで仏像を彫っても別に相手にありがたがられるくらいで特にそのストレスが解消されるわけでもない。
やはり「カッとなる」には殴る、などのまあ何というか短絡的なとでも言うべき行為がマッチするんじゃないだろうか。殴る。刺す。怒鳴る。しっくりくるもの、他にあるかなあ。
カッとなって刺した。
これは至って普通だ。これが異常になるのはたとえばこんなときじゃないか。
カッとなって果物ナイフを研いで、それで刺した。
だめだろう。これは。なぜなら砥石でしゃーしゃーやってたらカッとなった気持ちが萎えるからね。研いでるそばから「あー、何でこんなことやってんだろ、何か手が臭くなるし」とかさ。
まあ、だからなんだって話です。ただカッとなって仏像を彫ったというのを書きたかっただけ。です。はい。