演劇の感想とか。『アンダー・ザ・ロウズ』(虚構の劇団)

昨夜飲み過ぎて、昼にようやく起き出し、事務所の引っ越しの準備をして仕事は結局1㎜もやらなかった。16:00に事務所を出て、書店で「映画秘宝」最新号読んで、ゲーセン行ってたらあっという間に時間が潰れた。


虚構の劇団の作品は、確か旗揚げ公演の「グローブジャングル」とそれに続く2作くらいは観たのだが、ここのところ足が遠のいていた。「グローブ〜」は文句なしに面白かったけど、それに比べると他がちょっとアレだったからか。


ともかくも、観てきた。


お話は。ある日、14年ぶりに中学校の時の同級生に街で偶然出会った会社員の男。昔話に花を咲かせるが、どうにも噛み合わない。聞けば、その同級生はワームホールを撮り、「パラレルワールド」からやってきたという。平行宇宙の東京では、男は元いじめられっ子のヒーローであり、さる団体のリーダーであるものの、この1ヶ月行方が分からなくなってしまっていると。男は平行宇宙の世界を観てみたくなり、ワームホールをくぐるが…というもの。


いじめを物語の媒介にしつつ、ここ数年鴻上尚史さんが主張している「世間と空気」が硬直している様を描いている。んだと思う。


作品では、元の世界は「会社員の男が同級生をいじめから救わなかった世界」で、平行宇宙は「会社員の男が同級生をいじめから救った世界」となっている。


鴻上さんがどこまで本気なのか分からないものの、劇中「おれはランドセルを強要しリクルートスーツを強要する全ての人間を憎む」という意味の台詞があり、他にも学校というシステムを敵視する台詞なんかもあるんだけど、やや首を傾げたくなる感じなんだよなー。


学校≒軍隊という図式を作って色々言っているものの、大体、学校は子供を「標準化」して軍隊の歯車として上手く働かせる機能を担っていたのであるから、ある程度は当然で。それに、軍隊で働かなくとも「標準化」は少しは必要なんだと思うんだけどね。


いじめという、「少しでも異質なものを排除しようとする」(と劇中で表現されていた)現象は、別に日本特有のものじゃないわけですよ。箱庭系洋ゲーには『BULLY』(意味:いじめ)というゲームがあるし、同題の映画も存在する。ゲームと映画は全く関係ないよ。


いじめはあくまで仕掛けのようなものだから、やや紋切り型だなーくらいでもいいのかも。メインは「世間と空気」だからね。


私は所謂「地域共同体」が崩れ始めた後に生まれた人間で、私よりも上の世代の人とは感じ方が違うんだろうけど、私は自分が感じてきた「世間」くらいマイルドなものであれば、「世間」はそんなに目くじらたてるようなものじゃないのではと思う。


でもアレか。突飛なこと言っちゃう当事者にしてみれば一斉に叩かれたりしちゃうわけで、世間はやっぱり厄介なものなんだろうか。ぬーう。鴻上さんだからこそ感じた(る)世間のプレッシャーは相当なものなのか。


比較的枝葉の部分だけど、「1995年以降、『分からないもの』『理解できないもの』に対して人々が凄く拒否感を抱くようになった」という内容の台詞が出てきたが、そいつには非常に共感する。


「分からないもの」を「つまらない」と断じる傾向は確かに強くなっていて、今や作り手は受け手様が理解できるように全てお膳立てしなければならない。さもないと「つまらない」の烙印を押されちまう。昨日の日記の繰り返しになるけど、「分からないが面白いもの」というのは厳然と存在する。分かろうとする努力をしない者には、今得られている以上の「面白さ」「楽しさ」は得られない。精進しなければならないのは作る側ばかりでなく、こちら側もそうなんである。


毎度ながらとっちらかりーの感想であるなあ。


主観的面白さ:★★★/5